2度目の【死の宣告】

この時、私は2度目の【死の宣告】を受けてしまっていました。


救急車を呼んでもらった後、私は妻に支えられ手すりにしがみついて何とかやっとの思いで1階に降りる事が出来ました。

隣接するおふくろの家の縁台に寝て、救急車が来るのを待っていました。

救急車が到着すると、私は救急隊員の方に入院先の病院を伝えました。

それと同時に隊員の方が私の血圧を測りますが、前回と同じように、かなり低いようで、なかなか数値が出ず、何度も測り直していました。

その間、別の隊員の方は入院先の病院と連絡を取っているようで救急車は私を乗せてもなかなか動きませんでした。


「もう少しで病院に向かいますから。」

隊員の方のそんな言葉がだんだんと遠くなって行きました。


意識が薄れて行きました。

しかし、この時は完全に意識が無くなる事は無く、遠い意識の中で時間が非常に長く感じられていました。


しばらくすると救急車は動き出しました。

私は1ヶ月に2回も救急車のお世話になってしまいました。

病院へ到着すると看護師さんが待っていました。
救急隊員の方々が私を救急治療室へと運びました。

救急治療室のベッドへ移動されると同時位に私の意識は無くなってしまいました。


その後の事は覚えていません。

しかしこの時妻はまた主治医から呼ばれこんな事を言われていたそうです。


「笹野さん、残念ですが今度はご主人は助からないと思います。会わせたい方がいたら早めにお願いします。」と。


今となっては全く記憶が無いため、何とも言えませんがもしかしたら私は『死の淵』をさまよっていたのかも知れません。

2度目の【死の宣告】でした。。。

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