「医学会において例がありません。」

約2年ぶりとなる『仕事』を無事に終えた満足感に浸っているのも束の間、その翌日は約3ヶ月ぶりとなる血液検査の結果が出る日でした。

わき腹のチューブが取れて約3ヶ月、自分の体調から考えて肝機能や腫瘍マーカーの不安はそう感じてはいませんでした。

「本当にいろいろな事があったけど、その度に乗り越えて来たからね。結果も良いと思うよ。大丈夫だから。」

「そうだよな。。。」


たぶん大丈夫だと思っていながらも、やはり不安はどうやっても拭い切る事は出来ません。

ソワソワと、地に足がついていないような気持ちで結果当日を待っていました。


そして当日。

私は診察の予約時間に合わせて病院に行きました。

院内はいつものようにとても混んでいたので、私は診察室から少し離れた椅子に腰かけ、順番を待っていました。


ふと前を見ると、ご夫婦らしき方が通りました。

その方は前回の診察の時も一度見かけた事がありました。

奥さんだと思われる女性の方の頭にはバンダナが巻かれていました。

私は『抗がん剤の副作用なのだろう』と思いました。

そしてその女性の右手には以前の私と同じように胆汁の容器を下げるヒモが握られていました。

きっと私と同じような病を患っていらっしゃるようで、身体もだいぶ痩せていました。

今回も待っている場所が近いと言う事はもしかしたら主治医も私と同じなのかも知れません。

とにかく私はその方の気持ちがとてもわかるような気がして、『頑張って下さい。』と心の中で素直な気持ちでエールを送っていました。


しばらくすると診察の順番が来ました。

診察室に入ると、主治医の机の上にあるパソコンの画面に私の血液検査の結果が貼られていました。


「笹野さんの腫瘍マーカーの数値は【1.5】です。
肝臓がんの方は血液検査の数値を見る限り心配無さそうですね。」


主治医は首をかしげるような仕草をしながら続けました。

「前のデータを見ると笹野さんの腫瘍マーカーの数値は非常に高かったですからね。」

そう言いながら過去のデータをプリントして渡してくれました。

黄疸・肝臓がんから克服までの血液検査

↑その時頂いたデータです。(クリックで拡大)




2年前、黄疸が酷くなり初めて調べてもらった時の腫瘍マーカーは【6,180】でした。

ちなみに基準値は【10以下】だそうです。

私はこの時初めて当時の数値を聞きました。

基準値【10以下】に対して、【6,180】と言う異常な髙数値からみても私の病状が悪く、余命宣告を受けてしまうのも当然だったのだろうと理解しました。


「笹野さん、笹野さんのような方は医学会においても例が無いと思いますよ。」


私の頭の中では長くて辛かった闘病生活が駆け巡っていました。

「先生、1年半と言う長い間、いろいろとお世話になり本当にありがとうございました。」

私は心からお礼を伝えました。


主治医も嬉しそうに微笑んでくれていました。




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