外出許可をもらい、娘の車の修理を終わらせる

私はずっと気になっていた娘の車の修理を体調が比較的良い今のうちに終わらせておこうと考え、主治医に外出許可の申請をしました。

申請は通り、私は外出許可をもらいました。

しかし、外出しても1日4本の点滴を欠かす事は出来ません。

今までの1本6時間ペースだと外出出来る時間が無くなってしまうので主治医の指示で全体的にペースを早めて行う事になりました。


外出の日の朝食前、看護師さんに点滴の針を抜いてもらいました。

何とも言えない『快感』のようなものを感じました。

自由になれた気持ちでホッとしました。


朝食後しばらくすると妻が迎えに来てくれました。

私は時間がもったいないと、すぐに車に乗り込みました。


家に着くと早速、工場のシャッターを開け、娘の車の修理を始めました。

久々の工場、久々の修理音で私自身、ワクワクしていました。


妻もおふくろも、見守ってくれていました。

明らかに入院当初とは違う私の動きに、妻もおふくろも少しはホッとしているようにも見えました。


この時期は、私が肝臓ガンの末期で余命3ヶ月の宣告をされてからちょうど【3ヶ月】が過ぎようとしていた頃でした。

普通(?)ならば、末期ガンですから、病院のベッドの上で寝たきりのような状態になっていてもおかしくないのでしょうが、私はそれどころか、余命宣告された時より、明らかに体調が良くなっていました。


あっと言う間に午前中が終わり、久し振りに自宅で昼食。

やはり美味しい!の一言でした。幸せを感じました。

その後も作業を続け、夕方4時頃、一旦修理を終え1時間位休んでから妻に病院まで送ってもらいました。


病院に戻ると看護師さんが『お帰りなさい。』と言ってくれました。

それはそれで嬉しいのですが、まるで病院が我が家のような状態で少々複雑な気持ちがありました。

そして病室ではまた、針を刺され、点滴が始まりました。


こんな生活を数日続け、妻に手伝ってもらいながら私は何とか修理を終わらせることが出来ました。

修理の途中で胆汁の容器がとても邪魔になり、イライラしてしまう事も多々ありましたが、何とか終わらせることが出来ました。


「これで娘もきっと喜んでくれるね。」 妻も嬉しそうでした。


私は最後の仕上げに洗車を始めました。

洗車をしながら、時間がかかりながらも修理を終わらせる事が出来た達成感と明らかに体調が良くなっている実感を感じていました。

洗車を終え、「これでいつ車を取に来ても大丈夫だよと伝えておいてくれ。」と妻に話しました。

「退院が出来て、胆汁が安定すれば仕事復帰も出来るかも知れないな。。。」

「そうなると良いね。でもこれからが大事な時だから無理をしないでね。」

私は妻をはじめ、いろいろな事に感謝をしながら病院に戻りました。




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