余命3ヶ月の宣告、妻に

私が肝臓移植の話しを家族から聞いた頃、妻は先生から私が肝臓ガンの末期症状で余命3ヶ月程度との宣告を受けていました。
私が余命3ヶ月だったという事は後になって分かった事でしたが、妻はこの時、とても大変な事を聞かされていました。

私の病状が肝臓ガンの末期症状だったため、主治医からこう言われたそうです。

ご主人の病状は進行性の肝臓がんで末期症状です。
今後抗ガン剤治療を行ったとしても余命3ヶ月でしょう。
』と。

妻は私には肝臓ガンが末期症状であること、そしてこの余命3ヶ月の宣告については一回も口にした事はありませんでした。

妻は私の深刻な病状と余命宣告を聞いて、息子や娘たちに相談し、肝臓移植と言う話しが持ち上がって来たのだろうと思います。

とにかく時間が無いため、私を生かす方法としていろいろ調べてた結果、肝臓移植が出て来たのだと思います。
家族の気持ちはとても嬉しいし、とても感謝しています。

しかし、私のために健康体の家族の身体にメスを入れる事なんて、私は決して出来ないし、賛成する事はありませんでした。

そんな深刻な状況だと全く分かっていない私は、家族が勧めてくれた肝臓移植を断りました。


私が肝臓移植の話しを断ると、気まずい空気は部屋の中を流れていました。
主治医は言いました。

「今は医療技術が進歩していますから血液型が同じであれば肝臓の移植は可能だと思います。」と。。。

私の家族は皆、血液型は『O型』でした。

主治医のそんな話しを聞くと、息子も娘達も肝臓提供者になると言い出しました。


『みんな、気持ちは嬉しい。気持ちはとても嬉しいけど、何を言っているんだ。そんな事させる訳には行かない。絶対に無理だ。』

「先生、やはり肝臓移植はしなくていいです。」と私は断りました。

「笹野さん、ここで結論を出さないで、一度奥様と一緒に肝臓移植の経験がある大学病院に行って相談されてみて下さい。私が紹介状を書きますから。」


その日はそんな話しで終わりました。

私はどうすればいいのか分からなくなっていました。

でもどう考えても肝臓提供者を家族で考える事はあり得ませんでした。

先生との話しの後、主治医の部屋を出て、家族と一緒に病室へ戻ったのですがその時何を話したのか、頭の中が混乱していて今でも良く思い出す事が出来ません。





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