人の死で『ここは病院なんだ』と改めて思う

ある日の出来事でした。人の死で『ここは病院なんだ』と改めて思う事がありました。


ある日、妻と娘夫婦が孫達を連れて見舞いに来てくれました。

孫は私に「じいちゃん・・・、大丈夫?」と声をかけて来たので私は「じいちゃんは大丈夫だよ。すぐ良くなるからね。そしたらまた遊びに行こうね。」

「うん!」

孫は嬉しそうに返事をしてくれました。

そんなこんなで時間もあっという間に過ぎ、私は病院の玄関まで見送りへ。

皆は車に乗り込み私に手を振りながら走って行きました。

その中で妻は泣きながら手を振ってくれていました。

私は妻のそんな顔を見て、胸が熱くなり、一緒に家に帰りたい気持ちでいっぱいになりました。


その日の夜の事でした。

私はいつの間にか眠りにつき、数時間経った真夜中、看護師さんたちの声で目が覚めました。

看護師さんの声は隣の病室から聞こえてきていました。

私の病室の前の廊下を足早に過ぎて行く足音がとても慌ただしい様子で、夜中の廊下に響き渡っていました。

私は真っ暗な病室の中で一人、とても心細い気持ちでした。

何事が起ったのだろうと病室の電気をつけました。

すると隣りの病室からまた看護師さんの声が・・・。

「○○さん!○○さん!大丈夫?」しきりに声をかけているようでした。


私は隣りの患者さんの病状が急変して亡くなってしまったのだと察しました。


この時、初めて病室の『個室』というものについて考えました。

『個室』と言うと聞こえは良いのですが、個室に入ると言う事は、それなりに病状が重い患者さんが入る事が多いのだと。


そう考えると『私も・・・』と考えてしまいました。

私は当時、肝臓ガンを告知されていました。

余命宣告こそ、直接はされていませんでしたが、個室の状況を考えると、『自分はもう助からない末期ガンなのか。』と考えてしまいました。

不安で不安で仕方がありませんでした。

自分も肝臓ガンの病状が急変していつ隣りの患者さんのようになってしまうのかと。


まだ隣りの病室はバタバタとしていました。

私は気を紛らわせるため、テレビのスイッチを入れました。

隣りの部屋が静かになるまでずっとテレビをつけていました。

この日は本当に長い長い夜でした。


翌朝、看護師さんが私に言いました。

「笹野さんごめんなさいね、昨夜はうるさくて眠れなかったでしょう。」私は状況を察していたので、特に何も聞かず大丈夫でしたと答えました。


看護師さんの仕事と言うのは本当に大変だと思いました。

また、やはり『ここは病院なのだ。いつ誰が急変して亡くなっても不思議ではない病院なのだ。』と改めて思い知らされました。




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