いろいろな気持ち

健康食品を飲み始めて2日目。

私は昨日の出来事を健康食品の事を含め、おふくろに話しをしました。

おふくろは何とも言えない顔で私に言いました。

「二人とも(兄と私の事)キノコ狩りに出かけてはキノコを食べていたのに他の人達よりずっとキノコが好きなはずなのにどうして癌になってしまったんだろうねぇ。」

確かにその通りとも思いましたが、その後何も言えませんでした。おふくろはおふくろなりの気持ちがあったでしょうから。。


私は心配するおふくろを少しでも安心させたい気持ちで、いろいろな話しをしました。

その後、私は久し振りに自分の工場のシャッターを開けました。

ふと自分が病気になると、この工場で兄と共に賑やかに仕事をしていた事などが甦って来ました。

慣れ親しんだ、私には落ち着く工場の匂いの中でしばらくの間思い出にふけっていました。

ふと下を見ると、使っていた道具があの時のまま置いてありました。


慌しく入院をしてしまったので退院してから片付ければいいやとあの時は軽く考えていました。

3月3日の入院から約1ヵ月間、この場所は時間が止まっていたかのようでした。


工場の中には修理途中の末娘の車が置いてありました。

他の車は何とか入院までに終わらせる事が出来たのですが末娘の車だけどうしても時間が足りず残ってしまいました。

元気になったらすぐ直してやるからと言った手前、ずっと気になっていました。


しかし、これから先の私は一体どうなってしまうのだろう。


そんな事を考えていた時、ちょうど妻が私の様子を見に来ました。

二人でしばらくいろいろな話しをしました。


妻は話しのところどころで
「絶対大丈夫だよ。お父さんはまた元気になってこの工場で元気に仕事しているから。」
と私を気遣った話し方をしてくれていました。

私も「そうだよな!」と妻に感謝の気持ちと
自分自身に言い聞かせるように返事をしていました。


私の家は1階スペースが仕事場である工場になっていて外階段を上がった2階が自宅になっていました。

当時の私は、2階に行くのに休み休みで上がるのが精一杯でした。


妻は私の後ろから上がって来ましたが、そんな私の様子を見て
「お父さん、出来るだけ家(2階)にいるようにしなよ。何かあれば私が(下に)行くから。」と言った程でした。

またこの頃、妻は私の病状を気遣って、肝臓に良いとされる食べ物を中心に献立を考えてくれていました。

基本的に私は好き嫌いが多い方で、嫌いな食べ物は見向きもしませんでしたがこの時は、妻が一生懸命考えて作ってくれたものだからと出来る限り全部食べるようにしていました。


とにかく私には時間が残されていませんでしたので病気に負けない体力づくりを最優先に心掛けていました。

その中心となる食事は、好き嫌いなどと言っている場合ではありませんでしたので免疫力を少しでも上げるため、『生きるため』の食事として出来る限り何でも全部食べていました。


この日は健康食品を飲み始めて2日目、初めて1日3回飲みました。

朝・昼・就寝前の3回飲みました。


この日は特に体調の変化は感じられませんでした。




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