食事の許可が出る!健康食品保管方法は?

緊急入院してから1週間から10日程経った頃だったと思います。

やっと主治医から食事の許可をもらいました。


しかし、前回の食事の出方からすると、
また『3分がゆ』から始まり、『全粥』になるまではまた数日かかってしまうと考え、
私は早速妻に連絡をして、翌日にでも私の好物を料理して持ってきてもらえるようお願いしました。


私には一刻も早く【栄養】を摂取する必要があると自分で判断したからです。


私はとにかく食事が出来る事がとても楽しみでした。

それと共に、【栄養】を少しでも早く摂り始めなければと考えていたので
妻の料理を食べる事は主治医には内緒で隠れて食べるようになってしまいますが
これも自分自身の身体と命を守るためです。

この大変な時期を自分の考えで乗り越える決心をしていました。


 

食事の許可が出てから1週間後、私の体重は『2キロ』増えていました。

しかし『2キロ』増えたと言っても、38キロからなので【40キロ】です。


大人の男としてはまだまだガリガリに痩せている事に変わりありませんでした。


胆汁は多めではありましたが、安定していました。


一番懸念している肝臓がんの進行(悪化)も特に思い当たる事はありませんでした。


私は隠れて妻に作ってもらっている『栄養ある食事』と
『健康食品』の【自分なりの代替療法】が上手く行っていると感じていました。


そしてこの頃、その『健康食品』の保管方法についても新たに思いつきました。

今までは妻にクーラーボックスに入れて持ってきてもらい、
その中で保存していました。


しかし、やっぱりしょせん『クーラーボックス』・・・、
いつまでも冷えている訳では無く、それなりに大変な思いをしていました。

私が飲んでいた健康食品は【要冷蔵の液体】のため、
保管方法には本当に苦労しました。


 

そんな矢先、談話室に置いてある冷蔵庫を開けている人にふと気付きました。

名前を書いた袋の中にジュースなどの飲み物を入れて、冷蔵庫に入れているのか見えました。


私は『これだ!』と思いました。


ただ、その健康食品をそのまま入れておくのはちょっと抵抗を感じたため、
妻にお願いして、別の容器に移し替えてから冷蔵庫に入れるようにしました。


こうして、私の懸念材料の一つだった『健康食品の病院での保存(保管)方法』は解決しました。


 

そして私の中での別の懸念材料の一つ・・・、『末娘の車の修理』についてもいろいろ考えていました。


余談ですが、自分の闘病生活・癌と闘う事以外の事をいろいろ考えられると言う事は
この頃からきっと、体調的にも余裕が出て来たのだと思います。。。


私は妻がお見舞いに来てくれたある日、娘の車が気になっている事を話しました。


妻は「今はまだ無理しない方が良いよ。」と言ってくれていましたが
私はこの事に関しては納得出来ませんでした。

逆に言うとそのくらい『元気』だったのだと思います。


 

「これから先、俺はいつどうなるか分からないよ。
だからどうしても1日でも早く仕上げてやりたいんだ。」


「そう・・・。お父さんがそこまで言うのなら私も手伝うよ。」


 

そうと決まれば、私は早速主治医に外出許可の申請をしました。。。



 




 

 

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