胆汁が安定せずまた入院

この頃の私の体調は『一進一退』といったところでした。


脱水症状回避のため、日曜日以外は病院へ行って点滴を受けていたのですが
平均500ccが2本、症状によって3本入れていました。

仮に3本入れると、1,500ccの水分が体内に入る訳ですが
胆汁の出が多い時は3,500~4,000ccも出てしまいます。


そうなると2リットル以上の水分を口から摂らなければなりませんでした。


 

また、味覚の変化も大きなストレスになっていました。

末期がんと闘うためには、口から入れる栄養は何より大切なはずです。

しかし、当時の私は味覚の変化が進行し、
何を食べても美味しく感じる事は無いし、食欲さえ無くなりつつありました。


病院食だけでなく、妻が作ってくれた料理すら、そんな状態でした。


味覚の変化の症状は相当悪くなっていたのだと思います。


「食べなければ癌に勝てないよ。」とこの頃良く妻に言われていました。


しかし私が欲するのは何故か『甘いもの』だけ。。。


それでも、食べないよりは食べた方が良いと考え、
ぶどうパンなど、甘いものの中でも比較的身体に良さそうなものを選んで食べていました。


 

そんな闘病生活を送っていた4月中旬(2005年・平成17年)、また胆汁の出が止まってしまいました。


私は早速妻を呼んでいつものように処置を行いました。

しかし、以前の時のように生食水入れる事は出来ますが出す(注射器で引き出す)事がどうしても出来ません。。。


 

その時、夕方5時を過ぎていました。

妻が急いで病院に電話してくれました。

幸いな事に病院にはまだ主治医がいるとの事でしたので私達は急いで病院に向かいました。


病院へ着くと救急治療室で主治医が早速処置をしてくれました。

しかし一旦は流れ始めたものの、またすぐに止まってしまいます。


「笹野さん、今日はこのまま入院してもらって様子を見ましょう。」


「わかりました。でも先生、何でまた止まってしまったのですかね?」


「また何かの不純物のカスかな。」


 

それ以上の説明は無いまま、私は入院となりました。

しかしその後3日間、処置直後は流れるのですが
またしばらくすると止まってしまうと言う状態が続きました。


「身体の中に入っているチューブ以外、全部新しいものと取り替えましょう。」


主治医の指示により、全部交換する事になりました。


 

交換後、やっと胆汁が流れるようになりました。


しかしその『量』がまた大変でした。

今か今かと待ち構えていたかのように、一気に流れ出て来ました。


1日に【4,000cc以上】出る日が5日間も続きました。


そんな状態ですと、夜中の処理にも気を使います。


看護師さんには声をかけてお願いしておくのですが、
心配になり夜中に目を覚ましてしまう事や
逆に予定より早くいっぱいになり溢れてしまった事も何度かありました。


私は家にいる時は妻が考えたもっと容量の大きい容器を作って使用していたので
病院でも何かもっと大きなものは無いか看護師さんに聞いてみました。


看護師さんは代わりになりそうなものをいくつか持ってきてくれたので
私はその中の一つを少し工作し、代わりの容器として使えるようにしました。

ビニール製で、容量がすぐわかるように、目盛も付けました。


看護師さんはとても喜んでくれました。


夜勤の看護師さんの労働は本当に大変そうだったので
少しでも楽にしてあげられたのかと私も嬉しく思いました。


また、私自身もこれで一晩胆汁を気にせず安心して眠る事が出来るようになりました。



 

 





 

 

 

 

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