【生きるための食事】を考える

やっと出た食事の許可、
嬉しさと同時に、いつも以上の空腹感でその日はとても辛い一日でした。


そして待ちに待った翌日朝の朝食時間、
私の朝食が運ばれて来ました。


 

『エッ・・・?コレが朝食???』


私のお膳にはおかずも無く、とても質素なものしかありませんでした。


ご飯のフタを開けてみると、それはまるで『米汁』。

米が見当たらない程でした。


 

「これは何ですか?」看護師さんに訊ねると

「3分がゆ」です。


その後看護師さんから
3分 → 5分 → 7分 → 10分(全粥)に変わって行く事を聞きました。


私は胃が悪い訳では無いのに・・・。

ご飯が食べたい。。。


私はすっかり落胆してしまいました。


 

それでも仕方なく食べる『3分粥』・・・、
いや、米汁・・・、しかも味気が無くマ・ズ・イ。。。


今日一日、この後の昼食も夕食もこの『3分粥』だと思うと本当にトーンダウンしてしまいました。


 

その日の午後、妻が私の好きな食べ物を持ってくれました。

前日に私からお願いしておきました。


病室ではちょっと気が引けたので私は1階のベンチに座って食べました。

これこそ『食事』!やっと本当の食事にありつけたようで
少し大げさかも知れませんが、私は心の底から幸せを感じる事が出来ました。


「美味しい!ありがとう。
でも病院食、3分粥じゃ、体力が全然戻らないよ。
さっき体重測ったらビックリしたよ、【42キロ】だよ。
このままじゃ癌にやられて死んでしまうよ。
俺はもう、これからは主治医の言う事ではなく、自分の考えで自分の命を守る事にするよ。
あの主治医は食べる事の重要性がわかってるのかな。正直不思議に思うよ。



妻も理解してくれました。

私はこの時から自分の考えで肝臓がんと闘う事を決意しました。


 

翌日、3分粥から5分粥になりました。しかし私には同じように見えました。

前日、妻に作ってもらった『普通の料理』を食べても身体に異常はありませんでした。

私の思った通りでした。

私の身体は『普通の食事』が出来るのに何故、食べさせてくれないのか・・・。

疑問ばかりが募っていきました。


 

その翌日は『7分粥』。ようやく私が知っている『おかゆ』らしくなって来ました。

それでも味は薄く、物足りないものでした。


私は妻に連絡をして、【醤油・ソース・海苔缶】を持ってきてもらうようにお願いしました。

味が薄くてまずい気持ちで無理矢理口に入れるより
少しでも美味しく感じて食べる方が身体にも良いだろうと自分なりに考えたからです。

これも自分なりの判断でした。


 

その翌日、やっと10分粥(全粥)になりました。

味はやはり薄かったので妻に持ってきてもらった調味料で
自分なりに味付けして食べました。

思っていた以上に美味しく食べる事が出来ました。


 

私は、人間が本来持っている【食欲】を大切にすることが
結果的に免疫にも繋がると思いました。


もちろん、自分なりの味付けで体調が悪くなった事は一度もありませんでした。


 

この頃、胆汁も安定してきて、
1日4本だったのが、3本になっていました。



 

 

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